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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 41 | 00:12:15〜00:13:00 | 00'45" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 祝賀ムードの東京市街―銀座の飾りつけ、両人の写真、ちょうちんをとりつける銀座など、新発売テレスコープ、デパートに大きなテニス姿の写真 | ||||||
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41 | 00:46:55〜00:49:20 | 02'25" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 4月の結婚式―儀式にのっとり成婚、両人CU、それぞれCU、見守る人々、馬車、皇居へ、天皇皇后と一緒に、皇居前におしよせる人々、パレード、馬車の2人、投石青年現れる、警官とりおさえる、馬車の2人CU | ||||||
| 映像サンプルナレーション この映像は1959年昭和34年4月10日執り行なわれた明仁皇太子と正田美智子さんのご成婚パレードの様子です。初の平民出身皇太子妃の物語はマスコミの激しい報道合戦のもとミッチーブームを巻き起こし、この日沿道には一目見ようと50万を超える国民が詰めかけました。パレードの途中一人の青年が馬車に石を投げて駆け寄り警官に取り押さえられるハプニングもありました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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41 | 00:02:40〜00:03:40 | 01'00" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ロケット打上直前、発射、上昇するロケット、音波とらえる、レーダー、イラスト―月と地球、月の表面CU | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1959年9月13日ソ連の月ロケット「ルーニク2号」が月面に到達、米ソの威信をかけた宇宙競争に新たな一歩を印しました。ソ連は翌1960年には月面観測ロケット「ルーニク3号」を打ち上げ、人類史上初の月の裏側の撮影に成功します。その映像は予想を超えた鮮やかさで未知の世界を見せてくれます。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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58 | 04:39:41〜04:40:21 | 00'40" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ナイル川、着工式典に参集した人々、軍楽隊、ナセル、モロッコ国王他諸国からの来賓、ダイナマイトによる岩山爆破、見守るナセル | ||||||
| 映像サンプルナレーション これはエジプト・ナイル川のアスワン・ハイ・ダム着工式の模様を伝える映像です。エジプト近代化の要として計画されたアスワン・ハイ・ダム計画はナセル・アラブ連合大統領のアラブ民族主義路線を嫌う英仏などの資金供与拒否に直面しその結果、1956年7月のスエズ運河国有化、スエズ動乱へと発展しました。しかし58年10月ソ連が1億ドルの借款供与を約束し、漸くダム建設のめどが立ちました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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58 | 04:32:48〜04:38:56 | 06'08" | 良好/ナレーション英語 | ||
| *フルシチョフ訪米(9.15)ニクソン副大統領の出迎えを受け、アンドリュース基地に到着したフルシチョフ、アイゼンハワー大統領とキャンプデービットへ、パレード、山荘でのフルシチョフとアイク *宇宙ロケット、アニメ、カプセルに入れられる猿、ロケット発射、無重力状態の実験 *キューバのカストロ、大群衆の歓呼とカストロの演説 *エリザベス女王とアイク(カナダ) *ハワイ・キラウエア火山爆発 *明仁皇太子、正田美智子と結婚 *イラン・パーレビ国王、ソラヤ嬢と結婚 *伊勢湾台風 *ダレス国務長官没(生前の映像/ベルリン) *ダライ・ラマ、インドへ亡命、ネール首相と会見(3.31) *ベトナム内戦/難民の行列 *アイゼンハワー大統領、ヨーロッパ・アジア11ヶ国歴訪から帰国/花火で歓迎する市民(12.03) | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1959年9月15日、史上初めてアメリカの土を踏んだソ連首相フルシチョフと出迎えのアイゼンハワー大統領。フルシチョフはかねてから軍縮やベルリン問題などで首脳同志が同じテーブルについて話し合うことを望んでいましたが漸くその機会が訪れたのです。ホワイトハウスやキャンプデービッドで行われた会談の合間には、ニューヨーク、ロスアンゼルス、サンフランシスコなどを精力的に回りその率直な言動は大きな反響を呼びました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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58 | 04:41:31〜04:42:31 | 01'00" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 羽田空港夜景、空港ビルを占拠した全学連学生、警官隊に排除されるデモ隊、ワシントンに着いた岸と出迎えるニクソン副大統領ら | ||||||
| 58 | 04:44:00〜04:45:30 | 01'30" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 調印式に臨むアイゼンハワー大統領と岸首相、アイクのコミュニケ発表、署名する岸首相、握手するアイクと岸、アイク夫妻 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年昭和35年1月19日深夜の羽田空港は、日米安全保障条約調印のため岸首相が渡米するとの情報を得て緊急動員された数千の全学連学生によって占拠されました。追われるようにアメリカに向け飛び立った岸首相は日米安全保障条約に調印します。しかし岸政府の、国会での民主主義を無視した強引な議決などに憤激した国民の怒りは反安保の闘いとして大きく結集することとなります。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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N-17-2 | 00:18:24〜00:22:34 | 04'10" | 良好/ナレーション | ||
| 第二組合集会で強行就労決議、第一組合ピケ、中労委あっせん、労使、第二組合奇襲上陸、強行就労(三川鉱)、大乱闘、負傷者続出、繰込場乱入、機動隊出動、裁判所立入禁止の仮処分、久保清さん殺される | ||||||
| 映像サンプルナレーション 戦後日本の復興を支えてきた石炭はエネルギー政策の転換により石油にとって代わられ時代は大きな曲がり角を迎えました。その象徴となったのが三池争議です。1959年三井鉱山は三池を含む6ヶ所の鉱業所で6000人の希望退職を募る合理化案を発表し反対する三池労組活動家の大量指名解雇を強行、組合は無期限ストライキに突入しました。総資本対総労働の対決となったこの闘いは労働者側の敗北に終り、その後の労働運動の方向に大きな影響を与えました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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58 | 04:47:46〜04:48:42 | 00'56" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 爆破で破壊された第二杭、救助隊杭内に入る、安否を気遣う家族、運び出される生存者(死者40名) | ||||||
| 映像サンプルナレーション エネルギー政策の転換に伴う合理化と大量解雇の嵐に揺れる石炭業界で追い討ちをかけるようにガス爆発事故が頻発しました。これは1960年2月1日に発生した北炭夕張坑の爆発事故の様子をとらえた映像です。肉親の安否を気遣う大勢の家族が詰めかける中、坑内に入った救助隊によって次々に生存者が運び出されました。この事故による死者は39名でした。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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58 | 04:50:05〜04:50:42 | 00'37" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ニューデリーに到着したフルシチョフ、インド歓迎陣、ネール首相と共にオープンカーでパレード、群衆 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年2月10日、ソ連のフルシチョフ首相がインド、ビルマなどアジア諸国歴訪の旅に出発、最初の訪問地インドではネール首相らの盛大な歓迎を受けました。フルシチョフは前年の9月アメリカを訪問、「米ソ共通の目標は世界平和」とアイクと握手を交わし東西冷戦の雪解けを演出しました。このアジア諸国歴訪の目的はその地固めを更に強固なものとすることにあったのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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57 | 03:16:00〜03:17:20 | 01'20" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 爆破シーン、航行する原潜、潜水艦内部発射準備、発射され水面から飛び出すミサイル、ミサイルの飛跡、観測機、爆発するミサイル、キノコ雲 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年7月20日、アメリカ原子力潜水艦「ジョージ・ワシントン」がケープカナベラル沖合で2発のポラリスミサイルを水中から発射、ミサイルは2000キロメートル先の目標水域に着弾しました。ポラリス計画はソ連のスプートニク1号打上げ成功で開発が急がれていましたがこの実験の成功で、核爆弾をあらゆる場所に配置でき、仮に核の先制攻撃で都市が壊滅したとしても報復攻撃が可能となったのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 41 | 00:00:00〜00:01:40 | 01'40" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 4月21日「4月革命」―座り込み集会、警官出動、デモ、車にのった人々、拍手する婦人、焼き打ちにあう建物や車 | ||||||
| 58 | 04:52:18〜04:52:50 | 00'32" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 街頭の群衆、警官隊と乱闘、逮捕、突っ走る警察車輌、デモ隊 | ||||||
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58 | 04:55:12〜04:56:50 | 01'38" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 街頭の大集会、警官とのもみ合い、逮捕される青年、警官を押しのけ行進するデモ隊、トラックに鈴鳴りの人々、炎上する派出所、建物、車 | ||||||
| 58 | 04:58:06〜04:58:46 | 00'40" | 良好/ナレーション英語 | |||
| もめる韓国国会、デモの死者、悲しむ遺族 | ||||||
| 58 | 04:58:52〜05:01:15 | 02'23" | 良好/ナレーション英語 | |||
| デモ、兵士の前に押し寄せる、デモ隊、夜のデモ、襲撃、焼け落ちた建物、新内閣誕生、閣僚たち、李承暁、副大統領の葬儀に参列 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年4月19日、韓国のソウルで李承晩政権の打倒を叫ぶデモが発生デモの主力はソウル市内の大学、高校の学生でした。政府は戒厳令を発動し警官隊と軍隊を出動させて鎮圧をはかり、この日だけでデモの参加者70人以上が死亡しました。7月26日再び50万の市民がデモに参加し、韓国議会は満場一致で李承晩の即時辞任を決議しました。李承晩は抗し切れず遂に大統領を辞任、12年に及ぶ独裁政治の幕は下りたのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 58 | 05:01:33〜05:02:28 | 00'55" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ソ連最高会議で米スパイ機「U2」の告発演説、米高官のステートメント発表 | ||||||
| 59 | 05:22:38〜05:24:33 | 01'55" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ソ連で開かれた「U2」裁判傍聴のパワーズ飛行士の妻、法廷(スチール)、記者会見するアイク(肉声) | ||||||
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57 | 03:54:45〜03:55:20 | 00'35" | 良好/ナレーション英語 | ||
| U2機飛行、パワーズ飛行士の飛行服、U2裁判法廷、パワーズ飛行士と傍聴の夫人ら、弾劾演説するフルシチョフ | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年5月1日アメリカのスパイ機「U2」がウラル上空2万メートルで撃墜されました。U2機はロッキード社が開発した高性能の偵察機で2万7千メートルまで上昇でき目的地上空に到達するとジェットエンジンを止め音を立てずに偵察飛行が出来、光線の反射を防ぎ発見しにくくするため黒く塗装され黒いスパイ機と呼ばれていました。「U2]の撃墜は米ソ間に兆した「雪解け」に暗雲ををもたらすこととなりました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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58 | 05:05:13〜05:06:49 | 01'36" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 国会前にデモ隊、国会内で座り込んで江田社党書記長ら、食事の差入れ、警官隊導入、ごぼう抜き、清瀬議長、もみくちゃにされながら成立を宣言、万歳する自民党議員 | ||||||
| 58 | 05:07:04〜05:07:54 | 00'50" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ジグザグデモ、首相官邸の門を破壊するデモ隊、デモ隊を排除する機動隊 | ||||||
| N-5-1 | 08:11:53〜08:13:55 | 02'02" | 良好/サイレント | |||
| 座り込む社党議員団、ごぼう抜き、運び出される負傷者、本会議場へ突入する院外団、清瀬議長の成立宣言、翌20日デモ、首相官邸に突入する全学連 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年5月19日、新安保条約を審議中の衆院安保特別委員会で自民党は突如審議打切りと採決を強行、これに激怒した社会党など野党議員は本会議上程を阻止するため本会議場前に座り込みました。しかし清瀬衆院議長は独断で警官隊を導入、野党議員を排除し野党議員欠席のまま強行採決を行いした。民主主義を無視したこの暴挙は、以後の安保闘争に多くの国民を結集させるきっかけを与えるものでした。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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42 | 00:41:30〜00:43:55 | 02'25" | 良好/ナレーション英語 | ||
| アイク、アンカレッジ着(訪日の為)―歓迎パレード、オープンカーのアイク、市民、空港の産物など見学するアイクと娘、ハガチー事件―反対のデモ隊ウズ巻きデモ、空港で歓迎派が日の丸と星条旗を振る、ハガチー降り立つ、ハガチーの車をとり囲むデモ隊車は走り、おいすがる学生たち、車停止、車内のハガチー、救出されヘリに乗り込む、飛び立つヘリコプター | ||||||
| N-5-1 | 08:01:08〜08:05:06 | 03'58" | 良好/サイレント | |||
| ハガチー、歓迎陣、反対派座り込み、到着する飛行機、タラップを降りるハガチー、乗用車を追いかけるデモ隊、デモの渦中の車、ヘリ着陸、乗り込むハガチー、飛び去るハガチー、アメリカ大使館前のデモ、ハガチー記者会見、国会議事堂、デモ、名古屋のデモ、岸首相、南平台デモ、山口県の岸支持デモ、労組員と衝突、江田三郎、西尾末広、岸信介 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年6月10日アイゼンハワー米大統領の訪日準備のため来日した新聞係秘書ハガティが羽田空港到着直後、訪日反対のデモ隊に囲まれ、アメリカ軍のヘリコプターで危うく脱出するという事件が起きました。この事件は日米両政府、警備陣に大きな衝撃を与えましたが大統領訪日は予定通りとされました。しかしこれに続いて6・15事件が起こり翌16日、政府は臨時閣議でアイクの訪日延期要請の止むなきに至ったのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 41 | 00:25:25〜00:29:10 | 03'45" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 6.15闘争―デモ隊、国会正門におしよせる、指導者スピーカーでアジ、門扉を引きあけようとする、内側から警官が押さえる、開く内扉、棒で突っかかる学生たち、警官ともみ合う、自動車引き出し火をつける、ホースで水をかけられる学生/アイゼンハワー、フィリピンに到着、降り立つアイク握手、空港で礼砲、アイクCU、オートバイの先導でパレード、歓迎の人々が沿道に、紙吹雪、夜のパレード | ||||||
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N-5-1 | 08:05:07〜08:10:58 | 05'51" | 良好/サイレント | ||
| 南通用門の衝突、引き出されるトラック、警棒メッタ打ち、放水、江田社党書記長、横内抗議集会、負傷者続出、燃えるトラック、夜の衝突、東大茅、早大大浜総長、警視庁へ抗議、翌日の南通用門、岸アイク訪日断念声明、河上丈太郎刺される、犯人、トガシンザブロー、浅沼稲次郎、18日の国会、虐殺抗議のデモ、樺夫妻、自然成立の瞬間、早朝のデモ、帰る岸 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年6月15日、新日米安全保障条約に反対する闘争は最高潮を迎え絶対阻止を叫ぶ全学連主流派の学生1万を主力とする数万のデモ隊が南通用門から国会構内突入を試み警官隊と再三にわたり衝突しました。警官隊はデモ隊に対し警棒を無差別に振るい、デモ隊の先頭近くにいた東大文学部4年生樺美智子さんが死亡、この事件は安保闘争が更に全国的に広がる契機となったのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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41 | 00:21.15〜00:22:12 | 00'57" | 良/ナレーション英語 | ||
| 1960年12月、ルムンバ捕われる―後手に縛られたルムンバ、周りに兵士、トラックにのせられたルムンバ、縛られた後手CU、ルムンバ、兵士に髪を引っぱられ縛られている、その前にルムンバ派の男も縛られている(オキト)、笑顔でCU、兵士から無理やりパンを口へ押し込まれるルムンバ | ||||||
| 41 | 00:22:18〜00:23:28 | 01'10" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1960年7月動乱―市街、国境を越える車、武器を手にした白人の家族、ベルギー兵、心配そうな白人、黒人兵、押収した武器、破壊された建物、路上の白人たち、白人兵、ジープにのった黒人兵、荒らされた建物、車 | ||||||
| 59 | 05:18:50〜05:19:47 | 00'57" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 空港に到着した国連軍チュニジア部隊、不穏な国内、空港で物資を下ろす国連軍 | ||||||
| 58 | 04:10:58〜04:11:58 | 01'00" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ルムンバ殺害の責任を問うデモ、カイロのベルギー大使館襲撃のデモ隊、消火活動 | ||||||
| 58 | 04:25:00〜04:25:32 | 00'32" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 故郷エイザベスヴィルに戻ったションベ、歓呼を受けるションベ | ||||||
| 58 | 04:31:28〜04:32:20 | 00'52" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 声明を発表するションベ大統領とコンゴ首脳陣、エイリザベスヴィルの国連軍とカタンギ軍の市街戦 | ||||||
| 57 | 04:04:20〜04:08:32 | 04'12" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1960年6月、空港にベルギー国王を迎えるルムンバら、独立コンゴ首脳、記者会見するルムンバら、ルムンバ逮捕され兵士にトラックに縛りつけられ辱しめをうける、国連前のルムンバ救援デモ、コンゴ問題を課題に開かれた国連、抗議する傍聴者と警備員の乱闘 | ||||||
| 58 | 04:12:33〜04:14:44 | 02'11" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 空港集合のコンゴ派遣インド軍、メノン国連インド代表の訓辞、輸送機に乗り込む兵士と握手 | ||||||
| 58 | 04:19:56〜04:21:11 | 01'15" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 北京、ルムンバ殺害に抗議する大集会、列席する周恩来ら首脳部、コンゴ軍を閲兵するカサブブ大統領 | ||||||
| 59 | 05:20:31〜05:21:36 | 01'05" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ベルギー軍部隊コンゴから撤退、ブリュッセル空港に到着した兵士をベルギー国王が閲兵、兵士の凱旋行進、歓呼する市民、ベルギー、コンゴ両首脳の会見(ブリュッセル) | ||||||
| 59 | 05:46:26〜00:47:24 | 00'58" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 逮捕され、トラックで移送されるルムンバ首相、見守るモブツ大佐 | ||||||
| 映像サンプルナレーション この映像は、「コンゴ独立の父」といわれたルムンバ・コンゴ首相が独立の翌1960年12月、カタンガ州の分離独立を主張するモブツ大佐ら軍部反対派クーデターで逮捕された時の状況を把えたものです。翌年2月になってカタンガ州政府はルムンバ元首相が監獄から脱走し付近の住民によって殺されたと発表しましたが、事態を重視したハマーショルド国連事務総長が徹底調査を行った結果、逮捕直後に処刑された事実が判明したのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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41 | 00:24:12〜00:25:13 | 01'01" | 良好/ナレーション | ||
| 7月の暗殺未遂事件―第8回自民党臨時大会会場、演説する岸首相、投票、後継池田勇人演説、岸負傷して運び出される、犯人荒牧退助つかまる、笑顔の犯人CU、病院 | ||||||
| 59 | 05:17:37〜05:18:38 | 01'01" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 同VOL41 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年7月14日、安保闘争の余塵冷めやらぬ中、自民党大会で選出された池田勇人新総裁の就任祝賀レセプションの会場で、岸信介前首相が右翼の荒牧退助にお尻を刺され会場から運び出されました。池田勇人の登場により日本は高度経済成長に向け走り出そうとしており、この右翼テロの政治的効果は全くと言っていいほどありませんでしたが、まさに象徴的な退場シーンであったということは出来ます。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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59 | 05:19:50〜05:20:20 | 00'30" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 天皇による任命、池田内閣閣僚の記念撮影、池田勇人、中山マサ他 | ||||||
| 58 | 04:22:15〜04:23:04 | 00'49" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1961年6月19日 池田訪米阻止全学連デモ | ||||||
| 58 | 04:23:24〜04:24:53 | 01'29" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ワシントンを訪れた池田首相夫妻、ケネディ夫妻、アイク夫妻、ケネディとボート上で会談 | ||||||
| 59 | 05:45:21〜05:45:57 | 00'36" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 池田内閣時代の総選挙、浅沼未亡人の立候補ポスター、右翼街宣車、投票する池田首相 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年7月19日、安保闘争の激動の中で退陣した岸信介首相の後をうけ池田勇人内閣が誕生しました。池田は安保の手痛い教訓を学んで岸信介の対決政治とは対照的に「寛容と忍耐」をキャッチフレーズに低姿勢と対話の政治路線をとりました。かつて吉田内閣蔵相時代「貧乏人は麦を食え」と放言、インフレ退治にメスを振るった池田は財界と官僚の圧倒的支持を背に、「高度経済成長路線」を突き進むこととなります | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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55 | 01:53:01〜01:55:11 | 02'10" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 開会式の会場、水泳高飛込み、障害物競走、女子リレー競技、棒高跳び、閉会式、“次は東京” | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年8月25日、永遠の都ローマに84ヶ国から5400人の選手、役員が集い第17回オリンピックが開幕しました。カシアス・クレイがボクシング、ライトヘビー級で、裸足のランナー、エチオピアのアベベ・ビキラがマラソンで金メダル。男子体操では日本の小野喬が鉄棒と跳馬で金、個人総合で銀メダルを獲得しました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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59 | 05:24:48〜05:27:35 | 02'47" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 空港に降りたカストロキューバ首相声明、ノボトニーチェコスロバキア第一書記、ゴムルカポーランド第一書記到着、船で米国入りするフルシチョフ、海と陸で反ソデモ展開、厳戒の中、下船するフルシチョフソ連首相 | ||||||
| 59 | 05:32:59〜05:33:51 | 00'52" | 良好/ナレーション英語 | |||
| カストロ帰国、タラップ上で別れをつげるカストロ、インドネシア・スカルノ大統領、ヨルダン・フセイン大統領の米国入り | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年9月、第15回国連総会に出席するためニューヨークに到着したカストロ・キューバ首相。前年1月の革命成立以来キューバとアメリカの間で、米石油企業3社の接収、キューバ産砂糖の輸入削減、在キューバ米資産9億ドルの接収など経済をめぐる対立が激化し、ソ連首相フルシチョフは、「もしアメリカがキューバに軍事干渉するなら、ソ連はアメリカの心臓部にロケット弾を打ち込む」と表明、米ソ間の軍事的緊張が高まっていました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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59 | 05:29:55〜05:32:50 | 02'45" | 良好/ナレーション英語 | ||
| アイゼンハワー米大統領演説、耳をかたむけるナセル・エジプト大統領ら、机をたたいて抗議するフルシチョフ・ソ連首相、カストロ・キューバ首相、席を立って演壇へ、カストロ演説 | ||||||
| 59 | 05:32:59〜05:34:29 | 01'30" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 帰国するカストロ、空港での声明、タラップで別れをつげる、スカルノ・インドネシア大統領、ヨルダン・フセイン国王の米国入り、総会でのマクミラン演説、ヤジるフルシチョフら | ||||||
| 59 | 05:35:05〜05:35:58 | 00'53" | 良好/ナレーション英語 | |||
| フルシチョフソ連首相、国連で演説 | ||||||
| 59 | 05:41:05〜05:42:34 | 01'29" | 良好/ナレーション | |||
| フルシチョフ首相、身振り手振りを変えて弾効演説(同時英訳) | ||||||
| 59 | 05:36:09〜05:40:03 | 03'54" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ヨルダン・フセイン国王演説、インド・ネール首相演壇へ、演説、ハマショールド国連事務総長演説、抗議するフルシチョフら、拍手する西側代表団 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年の第15回国連総会で演説するマクミラン英国首相に対し机を叩いて抗議するソ連首相フルシチョフ。この総会でフルシチョフは全面的軍縮と植民地の即時独立を提案し、もし軍縮決議案が拒否されるなら一切の討議に参加しないと強硬な立場を表明しました。彼の演説は国連総会に大きな波紋を投げ掛け、これを機に各国で軍縮機運が高まり翌年の16回総会で「核兵器禁止宣言」が出されました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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59 | 05:40:11〜05:40:58 | 00'47" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 浅沼暗殺―3党首大演説会の会場、演説する浅沼CU、山口二矢駆けより刺す!とり押さえられる山口、スローモーションで再現、日比谷病院、病院前に集まった人々 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年昭和35年10月12日、浅沼稲次郎社会党委員長が日比谷公会堂で演説中に17才の右翼少年山口二矢(おとや)に刺されまもなく死亡しました。当時の社会情勢は安保条約の改定強行に反対する左翼勢力の闘争が激化し、これに危機感を募らせた右翼との緊張関係が高まっていました。この日の日比谷公会堂は岸内閣退陣後を決める選挙の、「自民、民社、社会3党首立会演説会」の席だったのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 41 | 00:23:35〜00:24:10 | 00'45" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1960年7月選挙期間中のケネディ夫妻―飛行機から降り立つ夫妻、手をふる人々と握手、オープンカーのケネディ夫妻 | ||||||
| 41 | 00:33:25〜00:39:30 | 06'05" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 選挙―投票日、会場、投票する人々、ヘリ、投票のアイク夫妻、ケネディ夫妻、ニクソンも投票、ジョンソン、集計をみる人、ケネディ夫妻、カメラマンの前で、ニクソン夫妻も声明(肉声)ケネディ勝利!声明(肉声) | ||||||
| 41 | 00:58:00〜00:58:45 | 00'45" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ケネディ自宅から出てくる、長女を手をとって、教会へ、キャロラインCU、ケネディCU | ||||||
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57 | 03:58:09〜04:04:00 | 05'51" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 執務中のケネディ、シルクハット姿のケネディ、アイク、大統領就任式会場、入場するアイク、ニクソン、ケネディら、ジョンソンの副大統領宣誓、ケネディの大統領就任宣誓、就任演説するケネディ、ニクソン、アイクらと握手、祝賀パーティー、祝賀パレード、軍隊などの行進、ホワイトハウス(夜)、祝賀会に出席のケネディ夫妻 | ||||||
| 59 | 05:44:39〜05:45:14 | 00'35" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ケネディ選挙運動、オープンカーでパレードするケネディ夫妻、ケネディとジョンソン | ||||||
| 映像サンプルナレーション (オリジナル音声) | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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57 | 03:53:08〜03:57:36 | 04'28" | 良好/ナレーション英語 | ||
| *アルジェリアの騒乱、ドゴールと群衆 *南アフリカのテロ *コンゴの軍隊による弾圧、ルムンバの逮捕とションベ *日本、国会の突入するデモ隊、国会乱闘 *浅沼社会党委員長刺殺 *U2スパイ機撃墜とフルシチョフ、アイク、マクミラン、ドゴール *国連でU2問題討議 *デモ行進するカストロら *マーガレット王女結婚 *エチオピアハイレ・セラシェ皇帝視察 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1960年、フランス植民地主義者が反乱を起こしたアルジェを訪れたド・ゴールフランス大統領。1954年、独立戦争の開始以来泥沼の戦いを続けきたアルジェリアは、ド・ゴールの登場と独立を支持する国際世論に後押しされ漸く独立への道が見え始めていました。ド・ゴールが「アルジェリア人のためのアルジェリア」を呼び掛け、国民投票で承認されたあとも、軍と特権的地位にしがみつく植民地主義者の反乱が1962年7月の完全独立まで再三にわたり続いたのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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56 | 02:33:37〜02:34:07 | 00'30" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 新聞記事、生還したガガーリン少佐とフルシチョフ | ||||||
| 映像サンプルナレーション 「地球は青かった」という言葉で有名なガガーリン少佐とフルシチョフ・ソ連首相。1961年4月12日ソ連の有人宇宙船ボストーク1号が西シベリアのバイコヌール基地から打ち上げられ地球を1周して無事サラトフ州スメロフカ村に帰還、本格的な宇宙時代の開幕を告げたのです。この宇宙飛行でガガーリンは「ソ連邦英雄」の称号とレーニン勲章を贈られましたが、7年後ジェット機の訓練中事故死するという悲劇の結末を迎えました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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58 | 04:21:36〜04:22:12 | 00'36" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 記者会見する勧告軍部要人(チョン・ド・ヨン)宣誓式の将軍たち、万歳する将軍たち、朴正煕ら | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1961年5月16日韓国で軍事クーデターが発生し、張都暎(チョンドヨン)中将を議長とする軍事革命委員会が権力を掌握、反共、親米路線を宣言しました。李承晩政権を倒した前年1960年の4月革命以来の第2共和制は早くも1年余りで軍部の力に屈服するところとなりました。同5月19日には軍事革命委員会を国家再建最高会議と改称、7月3日には張都暎中将が失脚、より強硬派の朴正熈(パクチョンヒ)少将が権力を握り、軍事独裁国家への道をひたすら突き進むことになります。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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57 | 03:48:42〜03:49:50 | 01'08" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 爆発の瞬間、盛り上がる地面、同スローモーション、地面にできた巨大なクレーター | ||||||
| 映像サンプルナレーション (オリジナル音声) | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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59 | 05:49:35〜05:50:50 | 01'15" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ガーナ訪問、タラップを下りるハイレ・セラシェ、迎えるエンクルマ、ガーナ要人を閲見するハイレ・セラシェ、会談するハイレ・セラシェ、皇太子の東京訪問、皇帝夫妻、国民の前に姿を見せるハイレ・セラシェ皇帝 | ||||||
| 映像サンプルナレーション この映像はエチオピア皇帝ハイレ・セラシェがガーナのエンクルマ大統領に独立記念式典に招かれガーナを訪問したときの映像です。ソロモン王とシバの女王を始祖とし、以来225代3000年にわたる絶対君主制を誇ったハイレ・セラシェ皇帝とアフリカ民族主義の雄エンクルマ大統領の取合わせの妙がうかがえます。およそこの10年後、ハイレ・セラシェ皇帝は君主制打倒を叫ぶエチオピア国民に皇帝の座を追われることとなります。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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41 | 00:54:10〜00:55:50 | 01'40" | 良好/ナレーション | ||
| バンドンのあと1961年9月、ベオグラードで開かれた中立国首脳会議/参加国の国旗、ナセル円卓につく、シアヌーク、チトー、ハイレシェラセ皇帝、ネール、ナセル、エンクルマなどCU | ||||||
| 映像サンプルナレーション 反植民地主義を宣言した1955年のバンドン会議以降、第三世界の国々の政治的結束と影響力は世界の大きな潮流となりました。これは1961年9月ベオグラードで開かれた非同盟諸国首脳会議の様子です。会議にはエジプトのナセル大統領、ユーゴのチトー大統領、インドのネール首相ら第三世界28ヶ国の指導者が参加し、東西対立の緩和を求め「戦争の危険と平和へのアピール」を採択しました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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56 | 02:03:40〜02:04:32 | 00'52" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 昭和天皇、皇后ら葉山海岸で標本採取 | ||||||
| 56 | 02:38:03〜02:38:44 | 00'41" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 昭和天皇、皇后、皇太子、美智子妃ら、滑り台で遊ぶ浩宮を囲んで団らん | ||||||
| 57 | 03:33:11〜03:34:00 | 00'49" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 皇太子夫妻、浩宮三輪車で遊ぶ | ||||||
| 58 | 04:14:56〜04:15:55 | 00'59" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 浩宮を抱いた美智子妃、健康優良児コンテスト入賞の子供たち、挨拶、他の子供たちと遊ぶ浩宮 | ||||||
| 58 | 04:36:14〜04:36:31 | 00'17" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 皇太子夫妻の婚礼衣装 | ||||||
| 58 | 04:39:02〜04:39:25 | 00'23" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 応接間の天皇一家、天皇・皇后、皇太子夫妻、貴子妃ら、写真を撮る皇太子 | ||||||
| 58 | 04:52:58〜04:53:30 | 00'32" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 浩宮誕生 | ||||||
| 58 | 05:03:59〜05:04:39 | 00'40" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 浩宮中心に団らんの天皇一家 | ||||||
| 59 | 05:15:32〜05:16:03 | 00'31" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 二階から浩宮を抱き下りてくる皇太子夫妻、ソファで浩宮をあやす | ||||||
| 59 | 05:34:32〜05:35:00 | 00'28" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ホワイトハウスにアイクを訊ねた皇太子夫妻 | ||||||
| 56 | 02:54:05〜02:54:50 | 00'45" | 良好/ナレーション英語 | |||
| アルゼンチン訪問の皇太子夫妻、ガウチョのロデオを見学、ガウチョ、皇太子と握手 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 太平洋戦争終結の翌昭和21年の元旦異例の詔書が新聞の1面を飾りました。いわゆる「天皇の人間宣言」といわれるものです。この「人間宣言」は「現人神」を信じていた多くの日本人に衝撃を与えました。やがて人間天皇の姿が広く国民の前に紹介されるようになってきました。この映像は葉山のご用邸近くの磯で標本採取に余念のない生物学者としての昭和天皇の姿です。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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56 | 02:31:25〜02:37:23 | 05'58" | 良好/ナレーション英語 | ||
| *カイロの暴動 *キューバ革命とカストロ *コンゴ、ションベ政権獲得 *ケネディ大統領就任、ケネディとアイク、ケネディ・ドゴール会談、ケネディ・フルシチョフ会見 *ハマショールド国連事務総長就任 *ソ連ガガーリン少佐宇宙飛行成功、米人間ロケット打上げ成功 *ベルリンの壁構築、東から西への脱出、ケネディ演説 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1961年8月13日、東ドイツ政府は東ドイツ国民の西への脱出を防ぐため、突然東西ベルリンの境界線45キロにわたって鉄条網の壁を設置、東西を結ぶ道路は封鎖され、地下鉄はすべて境界線で折り返し運転となりました。この映像は境界線の封鎖を察した東ベルリン市民が命懸けで脱出する様子をとらえたものです。以来壁はコンクリートの壁へと強化され東西ドイツ分断の象徴として1989年11月の「ベルリンの壁崩壊」まで続きます。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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56 | 02:40:53〜02:46:57 | 06'04" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 乗り込むグレン中佐、カプセルに入る、ロケット発射、アニメ、グレン中佐カプセルから報告、回収に備える米艦、回収作業、生還したグレン中佐 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1962年2月20日、グレン中佐が乗り組んだアメリカ初の有人宇宙船「フレンドシップ7号」の打ち上げが成功、地球を3周、4時間56分飛行した後、無事ケープカナベラル東南グランドターク島沖270キロの海上に着水、回収されました。ソ連との宇宙競争に遅れをとったアメリカはロケット燃料が漏れ出す事故などで10回も発射延期を繰り返したあげく、国家威信をかけたこのプロジェクトにひとまず成功した訳です。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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57 | 03:19:15〜03:20:48 | 01'33" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 米艦隊、ラオス政府軍兵士、市街戦、避難民、ラオス援助の物資輸送、南ベトナムを訪問したマクナマラ米国防長官 | ||||||
| 57 | 03:21:02〜03:22:34 | 01'32" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ケネディ、フルシチョフ会談 | ||||||
| 58 | 04:16:25〜04:19:40 | 03'15" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ラオス問題協議のためマクラミン首相、ケネディを訪れる、グロムイコソ連外相、ケネディとホワイトハウスで会談、帰国に際し声明 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1963年6月23日ラオスで内戦状態にあった右派・王国政府派と左派・愛国戦線派、中立派が合意に達し、中立派のプーマを首班とする第2次ラオス連合政権が誕生しました。新政権は国際的に中立を宣言、翌7月アメリカソ連など14ヶ国がこれを保障する協定を結びましたが、アメリカはこの協定に違反して軍事要員をビエンチャンに送り込み右派を支援、結局連合政権は10ヶ月で崩壊する結果となりました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 40 | 00:54:10〜00:54:25 | 00'15" | 良好/ナレーション英語 | |||
| カイロで樹立―ベンベラら記者会見 | ||||||
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42 | 00:39:50〜00:41:20 | 01'30" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 1962年、独立―記念パレード、軍隊のパレード、市民、夜の町、ベンベラらパレード、大歓迎の人々、ベンベラを中心に首脳並ぶ | ||||||
| 57 | 03:12:26〜03:13:59 | 01'33" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ド・ゴールと群衆、1960年のデモ、警官隊とデモ隊の乱闘、市民とキスを交わす兵士 | ||||||
| 57 | 03:14:30〜03:15:20 | 00'50" | 良好/ナレーション英語 | |||
| アルジェリア市街、仏軍による厳戒体制、検問を受ける市民、道路を封鎖する鉄条網 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1962年7月3日フランスの植民地アルジェリアの独立の賛否を問う民族自決投票で99、7%が賛成しド・ゴール大統領はこの日正式に独立を承認しました。1954年11月民族解放戦線3000人の武装蜂起に始まるこの民族解放戦争で多大の犠牲を払いながら、近代装備の軍隊を動員し植民地支配を続けようとはかるフランスから漸く独立を勝ち取ったのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 57 | 03:42:14〜03:43:03 | 00'49" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 国連ビル、中印紛争を討議する国連、インド、集会で演説する、メロン国連インド代表 | ||||||
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57 | 03:47:36〜03:48:25 | 00'49" | 良好/ナレーション英語 | ||
| インド軍部隊の行進、演説するネール首相 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1962年6月のチベット通商条約の失効以来悪化の一途を辿っていた、中国とインドの関係は9月東部国境付近での軍事衝突に発展、10月半ばには国境全域に拡大し、インド軍は各地で敗退しました。この国境紛争で中国は大幅な譲歩を含む一方的な停戦宣言で外交的に勝利しますが、一方インドは非同盟政策を標榜しながら各国に緊急軍事援助を求めたため、アジア、アフリカ諸国に対する影響力を著しく低下させる結果となりました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 10 | 19:24:15〜19:24:45 | 00'30" | 良好/実況英語 | |||
| キューバ危機のケネディ―ケネディ声明(肉声)ケネディCU | ||||||
| 57 | 03:34:25〜03:40:02 | 05'37" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 国連総会の討議、キューバ封鎖の米艦隊、臨時体制下のハバナ、海岸に設けられた対空砲陣地、キューバ市民の反米デモ、演説するカストロ首相、米偵察機と空港写真、国連、キューバ欠席、臨戦体制の米軍、国連で演説する米代表 | ||||||
| 57 | 03:29:56〜03:32:52 | 02'56" | 良好/肉声/英語 | |||
| ケネディ、核ミサイルの撤去を要求(肉声) | ||||||
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57 | 03:44:36〜03:45:16 | 00'40" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ミサイルを積んだソ連船を監視する米軍機 | ||||||
| 57 | 03:45:39〜03:47:15 | 01'36" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 記者会見場で声明を読み上げるケネディ、キューバ危機の終結を声明 | ||||||
| 57 | 03:40:38〜03:42:10 | 01'32" | 良好/ナレーション英語 | |||
| カストロとの会談を終えハバナから戻ったウ・タント国連事務総長、ウ・タント声明発表 | ||||||
| 59 | 05:42:43〜05:43:45 | 01'02" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 総動員体制をとるキューバ、徴兵された新兵の集合、特使モスクワに派遣、フルシチョフにキューバ国旗をプレゼント | ||||||
| 映像サンプルナレーション キューバに向かうソ連船を監視する米軍機。1962年10月22日アメリカのケネディ大統領はソ連がキューバに中距離ミサイル基地を建設中であり、アメリカは自国と西半球の安全のため断固たる措置をとると言明しました。革命キューバを間に緊張を高めていた米ソ関係はこれを機に一挙に核戦争の瀬戸際まで突き進むこととなったのです。しかしソ連首相フルシチョフとの息詰まるやりとりののちフルシチョフがミサイルの撤去に応じ核戦争の危機は回避されたのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
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56 | 02:13:06〜02:30:04 | 16'58" | 良好/ナレーション英語 | ||
| J.F.ケネディ、ジャクリーン、大群衆の歓呼に応える、ホワイトハウスのケネディ家、ダラス空港に降り立つ、ダラス市内をパレード、銃声、銃撃直後の現場、嘆き悲しむ人々、弔旗、黙祷を捧げる議会、ジョンソンの大統領就任宣誓(スチール)、飛行機から下ろされるケネディの遺体、オズワルド移送中の暗殺、ケネディの葬儀、遺族と各国要人最後の別れを告げる、ド・ゴール、池田勇人ら、ジョンソン新大統領議会で演説 | ||||||
| 42 | 00:02:38〜00:09:08 | 06'30" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1963年暗殺・葬儀―オープンカーのケネディ、夫妻、就任式のケネディ、大群衆、議事堂で、ダラス空港の夫妻、オープンカーの夫妻、狙撃した建物、銃声、ボディガード車から降りる、警官見上げている、花がおかれた座席、泣く女性たち、死をつげる新聞、半旗、国連、ジョンソン大統領に、夜の空港に柩が着く、ジョンソン声明(肉声) | ||||||
| 58 | 04:16:25〜04:19:40 | 03'15" | 良好/ナレーション、肉声 | |||
| マクラミンを空港に迎える在りし日のケネディ、グロムイコソ連外相ホワイトハウスを訪問、帰国前記者会見、声明、英語で"Good-bye" | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1963年11月22日、アメリカのテキサス州ダラスをパレード中のアメリカ第35代大統領ケネディが銃撃され死亡しました。ニューフロンティア政策を掲げ華々しく登場したケネディ大統領はその志半ば47才で倒れたのです。教科書倉庫に勤めるリー・オズワルドが容疑者として逮捕されましたが、彼は刑務所へ移送される途中、ダラスの劇場主ジャック・ルビーに射殺されます。この事件の真相は今も闇の中です。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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55 | 01:31:35〜01:32:39 | 01'04" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ライシャワー大使、アメリカ大使館外景、病院から担架車で運び出される、ライシャワー大使、犯人、記者会見する大使館員 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1964年昭和39年3月24日、日本人女性を夫人に持ち親日家として知られるライシャワー駐日アメリカ大使が東京赤坂のアメリカ大使館玄関から車に乗ろうとしたところをナイフで右腿を刺され全治3週間の傷を負いました。大使は直ちに病院に運ばれ手術は難なく行われましたが、この時受けた輸血が原因で血清肝炎を起こし長く後遺症に苦しむこととなりました。大使を刺した犯人は沼津市に住む精神分裂症の19才の少年でした。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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55 | 01:32:40〜01:40:02 | 07'22" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ケーキにナイフを入れるマッカーサー、ケネディとマッカーサー、少年時代(スチール)、ウェストポイント時代(スチール)、第1次大戦に参加、フィリピン在住、大平洋戦争に参加、フィリピン再上陸、戦線視察、ミズリー号上陸降伏調印式、GHQ時代、朝鮮戦争将兵に勲章授与、ニューヨーク凱旋、議会で『老兵は死なず』演説(肉声)、葬儀、息子アーサーら家族、花輪を捧げるジョンソン別れを告げる参列者 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1964年4月5日元日本占領軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥が死去84才でした。米国軍人として常にエリートの道を歩んだマッカーサーは朝鮮戦争遂行の方針を巡りトルーマン大統領と衝突、解任されます。しかしニューヨークでの凱旋パレードでは第2次大戦の英雄として熱狂的な歓迎を受けました。アメリカ議会で演説した彼の言葉「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉はあまりにも有名です。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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55 | 01:40:20〜01:42:40 | 02'20" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 独立式典で演説するネール、死去1ヶ月前のネール首相、ガンジーとネール、1949年アメリカ訪問、迎えるトルーマン、1960年アイクと会談、ケネディとホワイトハウスの庭を散策、ガンジー廟に葬られるネールの遺体 | ||||||
| 58 | 04:30:58〜04:31:22 | 00'24" | 良好/ナレーション英語 | |||
| カイロ、大統領官邸バルコニーのネール首相とナセル大統領、警備兵、階段を下りる、ネール、ナセル・エジプト大統領、チトー・ユーゴ大統領 | ||||||
| 58 | 04:56:56〜04:57:58 | 01'02" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 飛行機から下りる周恩来、出迎えのネール首相と握手、中印国境問題で抗議のデモ隊 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1964年5月27日インドの初代首相ジャワハルラル・ネール首相が心臓発作のため意識を失い6人の医師団の賢明の治療も空しく息を引き取りました。74才でした。ネールはケンブリッジ大学卒業後ガンジーと共にインド独立運動に参加、独立後は初代首相としてインドの近代化を進める一方、国際政治の上ではエジプトのナセル、ユーゴのチトーらと共に非同盟、平和主義を掲げ大きな影響を及ぼしました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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56 | 03:01:49〜03:05:15 | 03'26" | 良好/ナレーション英語 | ||
| テームズ川、葬列、ド・ゴール、ユリアナ女王、マーガレット王女、エリザベス女王、チャーチルの遺族、寺院に担れて入る柩、大聖堂内の儀式、聖歌の合唱 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1965年1月30日イギリス元首相チャーチルの国葬がロンドンのセントポール大聖堂で行われました。葬儀にはエリザベス女王以下イギリス王室、フランス大統領ド・ゴール、アイゼンハワー元アメリカ大統領ら111ヶ国から国賓が参列しました。享年90才にちなんだ90発の弔砲が寒風に轟く中、70万余のロンドン市民が、第2次世界大戦にイギリスを勝利に導いたこの類いまれな政治家の葬列を見送ったのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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57 | 03:07:10〜03:09:05 | 01'55" | 良好/ナレーション英語 | ||
| グェン・カーン将軍の無血クーデタ(1965年1月27日)、サイゴン市内を警備する兵士、手持無沙汰の戦車隊、阻止線と群衆、グェン・カオ・キ、グェン・バン・チュ両将軍のクーデター(1965年6月11日)記者会見する、キ・チュー両将軍と幕僚、街を行く戦車隊 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1965年6月11日南ベトナム軍部によるクーデターが発生。この映像はクーデターの首謀者グエン・カオ・キ将軍らの記者会見の模様です。権力を握ったグエン・カオ・キはアメリカ側に公正な政府を支援していると思わせるために政治的、経済的改革の実施を約束しましたが、実際には何の改革も行われず、腐敗政治に反対し民主主義を訴える僧侶のデモなどを暴力的に鎮圧するなど強権支配を一層強化したのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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| 56 | 02:52:13〜02:53:55 | 01'42" | 良好/ナレーション英語 | |||
| アカバ湾、船、パイプライン、警備する兵士、イスラエル軍、戦車部隊、エジプトから引揚げる欧米人、国連 | ||||||
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56 | 02:55:03〜02:59:53 | 04'50" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 中東問題を討議する国連、戦闘、炎上する建物、捕虜となったエジプト兵、破壊されたエジプト戦車群、激戦の跡、エジプト捕虜たち、エジプト将軍降伏交渉に臨む、凱旋するイスラエル軍戦車、ダヤン将軍と将兵たち | ||||||
| 56 | 03:00:55〜03:01:18 | 00'23" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 戦車、破壊されたジープ、エジプト軍の捕虜 | ||||||
| 58 | 04:45:46〜04:46:36 | 00'50" | 良好/ナレーション英語 | |||
| イスラエル兵士の葬列、兵士行進、アカバ湾を監視する、国連軍兵士 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1967年6月5日、イスラエル軍は周囲のアラブ諸国に大規模な奇襲攻撃を開始し、第3次中東戦争が始まりました。直接のきっかけはアラブ連合共和国がイスラエル軍の脅威にさらされるシリア支援のためシナイ半島へ機甲部隊を配置したのに対し、その機会をとらえたイスラエル軍が電撃的な奇襲作戦に踏み切ったのです。圧倒的に優勢なイスラエル空軍の援護下でイスラエル軍はわずか6日間でアラブ連合、シリア、ヨルダン軍を撃破しました。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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55 | 01:25:54〜01:27:23 | 01'29" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 爆弾テロを受けた米大使館、血みどろの館員たち、運び出される重傷者、路上で手当てを受ける、破壊された乗用車の消火作業、跡片づけ | ||||||
| 映像サンプルナレーション 南ベトナム民族解放戦線による爆弾テロに晒されたサイゴンのアメリカ大使館。この攻撃によって自爆したテロリストのみならず、周囲にいた警官や通行人、大使館員など多くの犠牲者が出ました。ジョンソン米大統領はこの攻撃はアメリカの南ベトナムへの援助政策を益々強める結果になるだけだと言明しました。しかしこの攻撃はやがて南ベトナム全土で始まるテト攻勢の前哨戦に過ぎなかったのです。 | ||||||
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| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
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| 10 | 19:28:40〜19:29:00 | 00'20" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ベトナムの米軍―米兵ヘリにのりこむ、ヘリの編隊、河をのぼる、降りる米兵、市街での銃撃戦、砲撃 | ||||||
| 41 | 00:55:57〜00:56:45 | 00'48" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1961年の戦争―米兵銃撃、ジャングルへ | ||||||
| 41 | 00:58:50〜00:59:45 | 00'55" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1963年9月ベトナム危機―仏教寺院をとり囲む政府軍、軍隊のトラック、仏教僧侶指導者4人、記者会見、学生など街頭でつかまる | ||||||
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42 | 00:12:00〜00:15:20 | 03'20" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 1963年9月危機―サイゴン市内、戦車、バリケード、兵士、抗議文、ゴ・ジンジェム夫妻CU、夫人CU、軍部首脳、米高官、米兵たちヘリコプターにのりこむ、ヘリ大編隊、ヘリから銃撃、撃墜されたヘリ、逃げる米兵、焼かれる建物、消火 | ||||||
| 55 | 01:21:40〜01:25:35 | 03'55" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 救援に出動したヘリコプター、ヘリからジャングルの米兵を見る、負傷した兵士を収容、攻撃を受ける空軍基地、破壊された米軍機、消火活動、惨状を空撮、ヘリに乗り込む南ベトナム軍レンジャー | ||||||
| 55 | 01:25:54〜01:27:23 | 01'29" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 爆弾テロを受けた米大使館、路上に立ちすくむ負傷者、収容される負傷者、破壊された建物、車、血みどろの大使館員たち | ||||||
| 55 | 01:27:54〜01:31:08 | 03'14" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 戦略会議でのジョンソン大統領、ヘリ部隊出撃、ジャングルを進撃する米軍空母から戦闘機発進、爆撃、地上戦、負傷者救出 | ||||||
| 55 | 01:51:10〜01:52:57 | 01'47" | 良好/ナレーション英語 | |||
| トンキン湾の米艦隊、戦闘機の離艦、ジョンソン声明、スチーブンスン米国連代表、米軍の行進、着陸する戦闘機 | ||||||
| 56 | 02:48:22〜02:50:07 | 01'45" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 教会内に運ばれてくる負傷兵、外で激戦続く、戦闘に疲れ休息をとる兵士たち、ヘリコプターに負傷者を収容 | ||||||
| 56 | 03:00:31〜03:00:55 | 00'24" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ヘリコプターからの銃撃CU、ベトナム村落空撮 | ||||||
| 77 | 01:00:43〜01:26:43 | 26'00" | 良/サイレント(カラー) | |||
| 解放軍の押収武器/火を囲む米兵/負傷兵ヘリ搬入/解放軍の捕虜/ジャングル戦/負傷兵救急措置/死体後送 | ||||||
| 78 | 01:00:00〜01:28:48 | 28'48" | 良/サイレント(カラー) | |||
| 解放軍兵士の死体/連行される捕虜/民家に放火/女性に銃をつきつける/ヘリから掃射/田園地帯を進撃/銃撃/空爆/空母/爆薬運搬/爆撃機発艦/空爆 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1963年11月ジョンソン政権が発足しベトナム戦争への介入を強めていたアメリカは翌64年8月北爆を開始、更に65年3月ダナン海岸に海兵隊3500人を上陸させ、以後次々に増援部隊を送り最終的には50万を超える兵力を投入します。しかし南ベトナム解放戦線と北ベトナム軍の根強い戦いに戦況は泥沼化の一途を辿りました。1968年1月解放戦線側の大規模なテト攻勢を受け各地で敗北撤退のやむなきに至ったのです。 | ||||||
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